切り絵 バニアンの木の下で
切り絵 バニアンの木の下で

ハワイにはこのような大木が沢山ある。枝からつるが垂れ下がり、子供たちはぶら下がって遊んでいる。つるは地面に届くと、やがて太い根になって木はいくらでも大きくなっていく。

何度か行くうちにいつかこれをスケッチして切り絵にしようと思うようになった。

2010年7月に滞在した折のある日、妻と別行動することになり、私はホテル近くのカピオラニ公園に行き、さっそくこの大木のスケッチを始めた。そのうちになんと妻が本を持って私がスケッチをしていることも知らずに、大木の真ん中に寄りかかって読書を始めた。そこで妻を描いていると、彼女も漸く気が付いた。

帰りの飛行機の中でそのスケッチを仕上げていると、客室乗務員たちが興味津々に寄ってきたので、この木の名前を聞くと「バニアンの木」と教えてくれた。

帰国後、所属する美術の会の30周年記念展への出品作品として3か月かけて30号の切り絵に仕上げた。

切り絵は光を透過するので背面には半透明パネルを入れて背面からの光の効果がでるようにした。

切り絵は光を通す。和紙も光を通す。他にはないこの特性を生かさない手はない。そこで切り絵を和紙で仕上げてアクリルで挟んだ小物がこれ。刃が螺旋状の特殊な糸鋸でアクリルを自在な形に切り抜くことも可能になった。バックの光はPCから取ったLEDの小物である。このアイデアとMy HPの構想は11年前のGWに大学でデザイン情報学を勉強していた長男貴雄が一時帰宅していたとき語り合っていたものだった。残念ながら貴雄はその1か月後に交通事故で突然他界してしまった。それから数年間はショックで何も手につかなかったが、この度、漸く彼との約束が果たせた。 カードを持った猫は大船渡の仮設住宅の方々が作成販売している「はさむにゃん」です。洗濯バサミを利用してます。

ツタンカーメン
ツタンカーメン

こんな切り絵もあります。

ハワイ・ヨットハーバー
ハワイ・ヨットハーバー

3年前の7月、ホノルルのプリンスホテルに10日ほど滞在しました。すぐ横にアラモアナ公園がありますが、その傍に大きなヨットハーバーがあります。この切り絵はアラモアナ公園からヨットハーバーをスケッチしたものに基づいて7月の二人展用に切り上げたものです。今年のGWの成果です。これから仕上げてゆきます。

菖蒲
菖蒲

菖蒲のスケッチをいくつか組み合わせてデザインしました。花の彩をどうするか考えています。

仕上げを悩みましたが、和紙を染めてこんな風に仕上げました。色が切り口のクリアーカットを邪魔しないように注意を払いました。

百人一首の切り絵に取り組んでいますが、山部赤人の「田子の浦に…」を作品にすべく、西伊豆から駿河湾越しの富士山をスケッチするために、4年前の1月に、三島からレンタカーで長岡温泉、土肥温泉に泊まりながら2泊3日で50年ぶりの戸田湾を含めて17枚スケッチをしてきました。それらを元に構想を練って今年に入って漸く構図が固まり、切り抜いて和紙を当てて額装できたのが今年の6月。時あたかも富士山が世界文化遺産登録が決まりました。縁を感じたものです。

 

フィレンツェ花の大聖堂の切り絵制作始まり

少し切り進みました。

だいぶ姿が現れました。

ほぼ完成です。

線香花火
線香花火

花火の切り絵といえば「ドーン!」と咲く大輪の花はよくあります。線香花火は直径何十メートルの大輪の花に比べようもないですが、小粒ながらに人の心への存在感は大きいのではないでしょうか。「去りゆく夏」を惜しむように線香花火は、生まれて元気な青春から大人の間ほんのひと時輝いて、恰も人の一生の如く消えてゆきます。
線香花火は、このはかなさのもつ情緒、叙情ゆえに昔から人々に愛され続けてきました。線香花火の一生を4つの場面に切り絵にしてみました。これは一番輝いているところです。

線香花火の一生
線香花火の一生

はかない線香花火の一生を右から左へ4つの場面で切り絵にしてみました。

裸婦の切り絵
裸婦の切り絵

小学生時代、母親が当時光風会で名の知られた柳瀬俊雄画伯の教室を紹介してくれて、1年生から6年生まで毎週末東横線の都立大学駅から坂を上って幹線道路沿いにあった先生のアトリエに通って、スケッチ、デッサン、水彩、油絵と一通り習った。水彩では水つぼの水を如何に汚さないで描くか、油絵では油を如何に汚さないで描くか、筆やパレットの手入れも教えてもらった。油絵のパレットは絵具を新聞紙で拭き取り、仕上げには残った油をかけて布で摺り込むように拭き取る。やがて顔が映るぐらいにツヤツヤになる。さて、5年生の時だったと思うが、いつもの土曜日は風邪気味で休んだので、日曜日にアトリエに行った。アトリエの扉を開けた途端びっくり。
なんと裸の女の人が座っていて、大人の人たちが真剣に描いていた。女の人の裸は、親戚に遊びに行くとそこは従妹たちがみんな女の子で、おばさんに銭湯に連れてってもらうときは当然女湯だったのでさほど珍しくはないが、アトリエにいたのでびっくり。急いで扉をバタンと閉めて帰ろうかと考えていたら、中から先生が「おい、入って来いよ。」と声をかけてきた。おずおずと入ると、一番前の椅子に座らせて、ザラ紙と黒のパステルを渡され「これはクロッキーといって、5分くらいで形が変わるから素早く描くんだ。」と教えてくれた。何分、初めてのことで、顔から描いていたらすぐに違う形になってしまった。そこへ先生が寄ってきて真剣に「そんなことしてたら描けないぞ。大きく形をとらえてこう描くんだ。」といって紺色のパステルでグイッと一息に曲線を描いて見せてくれた。なるほどと思って段々馴れてきた。帰り際に先生から「これから毎月第4日曜日に来なさい。」裸婦クロッキーとの衝撃的出会いと共に大人のクラスに入れてもらった。

今、泉北の美術を育てる会で毎月第4日曜に催される裸婦クロッキーの会にたまに出て描いているが、クロッキー帖はだいぶたまった。これらをなんとか作品にしてモデルさんたちに恩返しをと思いながら切り絵の試作を進めている。これはその一つ。

裸婦切り絵2
裸婦切り絵2

上の裸婦の切り絵の抜け殻ともいうものを残しておいた。泉北の美術展に上の切り絵と共に持っていったとき、抜け殻を色和紙のファイルにはさんでいたら、会の洋画のメンバーの渡邊さんが「それ面白いよー!」と声をかけてきた。なにせ抜いてあるのだから背後の紙でいろいろ変化するのが面白い。早速、家で即席の「ヌード撮影会」。というとエライことだが、実は抜け殻にとっかえひっかえいろんな紙を当てて写真を撮りまくって楽しんだ。これはその1枚。

切り絵クロッキー染め和紙
切り絵クロッキー染め和紙

切り絵技法による表現では、切り口に「ぼかし」はきかない。その点では、モデルの輪郭線を決定するときにいろんなことを考えて勉強になる。体重を支えている筋肉の微妙な起伏から、手足の向き・形などの決定の際には、原画のアンバランス(意図しない)からきっちり修正していく。切り抜いた背景には和紙を当ててバックライトにより撮ったのがこの作品。

切り絵のサンタのクリスマスカードがマグカップに。

昔作った切り絵のサンタ。"Santa Claus coming from

future" は、未来からやってくるサンタ。宇宙の彼方からトナカイならぬ光ロケットに乗ってやってくる。

かねてより念願だったマグカップ大小ができてきてうれしいのだ。

20年前の阪神・淡路大震災のとき、猛火に包まれて焼け落ちてゆく神戸の街の惨状を直ちに切り絵にして、以後、募金活動にしばしば活用したものです。エキゾチックな雰囲気にミニ・ヨーロッパを感じて、おしゃれな街と憧れて時々訪れてスケッチしたり散策した者にとって大きな衝撃でありました。

215年5月に切り絵の講習会を実施し、それをきっかけに「熱帯魚、金魚」などを作り出した。